決められた位置から定まった所作で固定された的を射る。極めて静的なスポーツであり、ゆえに極めて精神集中を重んじる「武道」のように感じられます。
阿波研造(あわ けんぞう)範士は「弓聖」と言われた弓の名手。極めて宗教的というか精神性を重んじた方だそうで、大射道教を創始された方です。
↑阿波研造先生とその高弟、吉田能安先生、神永政吉先生ほかのYouTube動画。戦前のものでしょう。かなり古い映像。
阿波研造(あわけんぞう)
弓道家。明治13(1880)〜昭和14(1939)
宮城県河北町に生れる。仙台の日置流雪荷派木村時隆門下で弓をはじめ、後に竹林派本多利実に学んだ。30歳で仙台に弓道場を構え大射道教を創始。技術面で各流派の弓道総合を試みる一方、特に思想面で大平善蔵の射覚院とともに近現代弓道の発展に大きく寄与した(はてなダイアリー)
的と私が一体になるならば、矢は有と非有の不動の中心にある。
射は術ではない。的中は我が心を射抜き、仏陀に到る。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)
ちと難しくて弓道はおろか弓にすら触ったことのない私にはチンプンカンプン(死語)ですが・・・
ドイツ人哲学者オイゲン・ヘリゲルは日本文化の研究のため弓術を研究することにし、阿波に弟子入りした。しかし狙わずに当てる事などという阿波の教えは合理的な西洋人哲学者に納得できるものではなく、ヘリゲルは本当にそんなことができるのかと師に疑問をぶつけた。阿波は、納得できないならば夜9時に私の自宅に来なさいとヘリゲルを招いた。
真っ暗な自宅道場で一本の蚊取線香に火を灯し的の前に立てる。闇の中に線香の灯がゆらめくのみで、的は見えない。
そのような状態で阿波は矢を二本放つ。一本目は的の真ん中に命中。二本目は一本目の筈に当たり、一本目を引き裂いていた。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋
↑このエピソードを見てからずっと動画がないか探していたのですが、やっと見つけました。少し嬉しい。
徒手格闘技同士では良くも悪くも他流派のことを気にしますが、剣道、弓道は武器を使う競技のため、技術的な比較対象にしにくいのと、確立した世界観を有しているため、徒手系の武道・格闘技が好きな方でも興味を持たない人が多いのではないでしょうか?実際やってみないと分からない部分は多分にあり、独善的な理解は危険だとは思いますが、同じ「道」なら行き着くところはきっと同じ。幅広く興味を広げてみるのもよいかもしれません。
参考
勝山市議会議員・松村治門さんのページ 書評「弓と禅」
※ウィキペディアだと没1930年になっていますが、おそらく1939年の間違いだと思われます。
















